今もなお大江戸八百八町に鳴り響く葛西ばやし

江戸でお囃子と言えば“葛西囃子”

お囃子は、江戸中期に香取宮(かとりぐう)(現葛西神社 東金町6丁目)神主・能勢環(のせたまき)が和歌に合わせて音律を工夫創作しこれを和歌ばやしと名づけて村内の若者に教えたのが起源とされている。このお囃子はのちに江戸市中に広まり各地の祭礼に用いられた。神田囃子をはじめ深川、本所、浅草、目黒など東京はおろか関東一円のお囃子の源流と言われる。

江戸時代の葛西囃子の稽古風景 葛西神社資料

葛西氏と葛西御厨(みくりや)三十三郷の郷社「葛西神社」

葛西という地名は、平安時代に下総国葛飾郡の太日川(ふといがわ)(現江戸川)の西側を葛西、東側を葛東と分けて呼んだことから始まる。葛西の名字も鎌倉御家人としてこの地の領主となった清重の代になってからである。清重は、本貫地(ほんがんち)(本拠地)葛西が他の勢力から略奪や侵害されることに対抗するため、伊勢神宮に寄進し、葛西御厨と呼ばれるようになる。1185年(元暦2)には、下総国一宮の香取社(現在の香取神宮)の分霊が旧猿俣郷(現在の水元地域)の要として金町の地に祀られ、後に葛西の総鎮守と称されるようになり、明治14年に葛西神社と改称し現在に至っている。

葛西御厨の範囲と現在の区域

鎌倉武将・葛西氏の氏神さま
香取宮(現葛西神社)と金町

平安時代の1185 年(元暦2 年)に香取宮(現葛西神社)が創立された。香取宮は上葛西・下葛西あわせて三十三郷の総鎮守として、下総国香取神宮の分霊を祀ったため、金町郷は葛西三十三郷の中心地として栄えていた。鎌倉時代の文書に「下総国金町郷」の記述がみられる。

齢三百年以上の木々に囲まれた葛西神社

鎌倉街道「下道」、水戸道と
主要街道が通る金町

江戸時代までは、武蔵国を通る「鎌倉街道~上道、中道、下道」のうち「下道」が下総国や常陸国へつながる道で、金町郷付近では、江戸時代の水戸道と重なると思われる。

鎌倉街道の3つの道